【岡山から伝えたい】「水が来るぞ!」叫びながら自宅へ 真備であの日何が、濁流の証言

200人以上の死者が出る「平成最悪」の水害となった西日本豪雨。被災地の地元メディアである山陽新聞が被害の実態を伝える。記録的な雨量で岡山県内各地に深い爪痕を残した西日本豪雨は、最初に大雨特別警報が発令されてから、6日で1カ月を迎えた。4河川8カ所の堤防が決壊し、甚大な浸水被害を受けた倉敷市真備町地区では、生活再建に向けた復旧が少しずつ進む一方、詳しい浸水域の拡大状況や堤防決壊のメカニズムは判然とせず、大規模災害に対する備えのためにも実像をあぶり出す作業が急がれる。(山陽新聞デジタル)

この記事はヤフで取りました

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00010000-sanyo-l33&p=2

 

被災した住民たちへの取材で、未曽有の災害の実態に迫る数々の証言を得た。地区内を東西に流れる小田川の水位が上昇し、支流の水が流れ込みにくくなって逆流する「バックウオーター現象」の目撃情報が複数あったほか、倉敷市が避難指示を出す1時間以上前に、少なくとも支流2カ所の堤防が決壊していた可能性が高いことも判明した。

 倉敷市北西部に位置し、国道486号や井原線が貫く倉敷、総社市ベッドタウンとして約2万2千人が暮らす。タケノコ産地としても知られる真備町地区は、豪雨と堤防決壊に伴う濁流に全域の3割に当たる約1200ヘクタールがのみ込まれ、死者は51人、被災家屋は推計で4600戸に上った。

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 浸水域はどのように広がり、その時、住民たちは何を目にし、どう行動したのか。なぜ多くの命が奪われたのか―。現地で繰り広げられた救助活動、災害に対する日頃の備えの検証を含め、証言を基にリポートする。

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 「水が来るぞ!」。降り続く雨の中、声の限りに叫びながら30メートルほど離れた自宅へと駆けだしたのを覚えている。7月6日午後11時半すぎ、会社員須増国生さん(57)=倉敷市真備町箭田=は小田川に北方向から注ぐ高馬川の西岸にいた。水位が気掛かりだった。

 不安は当たった。

 小田川から押し戻されているのか、水が上流の方へ向かっている。そう思うや否や、堤防を越えた水はのり面の土を削るようにして宅地に向かって流れ出した。自宅で避難所生活の支度を急いで整え、玄関を出ると言葉を失った。押し寄せる濁流に腰まで漬かった。

 高さ1・3メートルの門柱の上に逃げたが、すぐにのまれた。庭の松に何とかしがみつき、助けを待った。消防隊員に救助されるまで約30分。「生きた心地がしなかった」と振り返る。

 高馬川は幅5メートル程度。西岸に続き、向かいの東岸堤防も決壊が確認された。いずれも小田川との合流部付近だった。小田川の水位が上がり、水が流れにくくなって逆流する「バックウオーター現象」が支流で発生して堤防を破断させた可能性が高いと、専門家は指摘している。

 

渦を巻く

 地区内4河川8カ所で堤防が決壊した真備町地区。倉敷市は7月7日午前1時半、高馬川のある北エリアへ避難指示を出したが、住民たちは高馬川西岸と、同じく北方向から小田川につながる末政川の西岸の計2カ所が避難指示以前に決壊していたと証言する。

 川幅7メートルほど。末政川の水が逆流して渦を巻く様子を会社員三宅宏始さん(37)=同町有井=は目の当たりにした。小田川合流部から500メートルほどの地点だ。ここで西岸の流失を目にした。7日午前0時すぎだったと記憶している。

 「日頃は穏やかな“小川”。荒れ狂いだして身震いした」。三宅さんによると、末政川からの濁流を受け、あちこちの民家がきしんだり、ガラスの割れたりする音を響かせ、倒れるように流される家もあった。

 地区内を東西に貫き、川幅が200メートル以上ある小田川でも異変が起きた。高馬川との合流部付近で北岸が決壊した。付近の住民たちは、7日午前2時~5時ごろには堤防が破断していたと口をそろえる。当時、浸水深が2メートル以上へと一気に達したためだ。

 西岸が決壊していた末政川は、東岸も2カ所が流失していたことが7日午前6時半~7時ごろに判明する。目撃したのは、末政川に架かる有井橋たもとのタクシー会社で代表を務める平井啓之さん(46)=岡山市北区。直前まで車が行き交っていた東岸側の道路が見る見る浸水し、川に目をやって気付いた。

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 6日深夜の高馬川西岸に続き、末政川西岸、小田川北岸から流れ出た水は、市真備支所がある地区中心部(末政川以西、小田川以北)を水浸しに。7日早朝の末政川東岸の決壊により、濁流は被害を免れていた末政川以東ものみ込んだ―。

 住民たちの証言を突き合わせると、深夜から早朝にかけて断続的に堤防が決壊し、時間差で地域に浸水が広がっていったとの推定が浮かび上がってくる。

無力感

 倉敷市では7日午前10時10分までの48時間雨量が267・5ミリに達し、観測史上最大を記録した。小田川が接続する高梁川の水位は同日、12メートル以上となり、氾濫危険水位を初めて超えた。小田川の水が流れ込みづらくなり、影響は小田川や支流の高馬川末政川にまで及んだのか。

 玉島消防署予防係の大森啓史さん(37)は当直勤務中の6日深夜から7日昼にかけ、住民からの救助要請を受け続けた。<首まで水が迫っている><子ども2人だけでも助けてほしい>…。浸水区域が広範囲に及び、救助に出動しようにも手段がなく、無力感にとらわれた。
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 「『屋根の上で耐えてください』『必ず助けにいきます』。そう繰り返すしかなかった」

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 この記事は山陽新聞社Yahoo!ニュースによる連携企画記事です。西日本豪雨の被害の実情と復興の過程を、地元メディアの目線から伝えます。