大阪桐蔭、圧倒的強さで史上初2度目の春夏連覇! 金足農と東北勢の初Vの夢叶わず【全国高校野球】

大一番は序盤から動く。主導権握ったのは大阪桐蔭

<最終日 決勝 ○大阪桐蔭13―2金足農●>

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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180821-00010005-baseballc-base&p=2


 第100回全国高校野球選手権記念大会は21日、阪神甲子園球場で最終日を迎えた。決勝戦は、大阪桐蔭(北大阪)が金足農(秋田)を下し、史上初となる2度目の春夏連覇を果たした。

【図表】第100回全国高校野球選手権記念大会<トーナメント表>

 2012年に続き史上初の2度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭と、秋田県勢と東北勢初の優勝を狙う金足農による決勝戦は、金足農の先攻で始まった。

 初回、前日の準決勝で155球で完投した大阪桐蔭の先発・柿木蓮(3年)に対して、金足農は上位打線が3者凡退。一方、後攻の大阪桐蔭は、これまで全試合を1人で投げ抜いてきた金足農の先発・吉田輝星(3年)を相手に先頭打者から四球と安打で無死一、三塁のチャンスを作る。

 そして、3番の中川卓也(3年)と4番の藤原恭大(3年)を連続三振を喫したが、5番の根尾昴(3年)はフルカウントから四球で歩き満塁とし、続く石川瑞貴(3年)の打席で吉田が初球を暴投。三塁走者が生還して大阪桐蔭が1点を先制した。さらに、石川は右中間を破る2点タイムリーを放ち、3-0とリードを広げる。後続はを中飛に抑えてイニングを終えたが、大阪桐蔭は初回に一挙3得点と主導権を握った。

 序盤から追う展開となった金足農は2回、先頭の4番・打川和輝(3年)が中前安打で出塁すると、その後バントと安打で1死一、三塁のチャンスを得る。しかし、直後に打川が三塁から飛び出し狭殺プレーの末にアウト。その後四球で再び走者を2人置いたが、最後は菊地亮太(3年)が遊ゴロに倒れて無得点に終わった。

 早いイニングで点差を縮めたい金足農。反撃が点に結びついたのは3回だった。先頭の斎藤璃玖(3年)の四球で出塁し、送りバントと柿木の暴投で1死三塁と再び得点圏に走者を置く。そして、2番の佐々木大夢(3年)がライトへ犠飛を放ち斎藤が生還。この回無安打で1点をもぎ取り3-1とした。

 流れを渡さないために追加得点を狙う大阪桐蔭は、すぐ後の攻撃で吉田から1死に、三塁の

チャンスを迎えるも、根尾と石川がともに内野フライに打ち取られ無得点。それに対して、金足農も4回に2死一、二塁の場面を作ったが、菊地亮が一ゴロに倒れて得点には至らない。

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大阪桐蔭がついに猛打を発揮!金足農を突き離す

 金足農の吉田のコントロールが定まらない内に攻め込みたい大阪桐蔭。失点のピンチをしのいだ4回の攻撃で、ついに試合を動かす。エラーと四球などで1死一、二塁のチャンスを作ると、1番の宮崎仁斗(3年)がレフトスタンドへ3ラン本塁打を放ち、6-1と大きく点差を広げることに成功した。さらに、5回には無死一塁から根尾が外角高めの速球をバックスリーンへ運ぶ2ラン。その後も3本のタイムリー安打で4点を追加し、この回一挙6得点を挙げて12-1と大阪桐蔭がその破壊力を遺憾なく発揮した。

 5回まで投球数が132球に達した吉田の力投に何とか報いたい金足農だったが、徐々に調子を上げていく柿木に対して6回は3者凡退。そして、吉田はその裏の守備でライトのポジションに就き、この夏地方大会を通じて初めてチームメイトにマウンドを譲った。2番手の打川は、130キロ台後半の速球などを駆使して6番から始まる大阪桐蔭打線を無失点に抑え、試合は11点差で終盤に入った。

 金足農は7回、1死から高橋佑輔(3年)が中前安打で出塁すると、続く菊地亮がライトを越える大きな飛球を放ち、これがタイムリ二塁打となって一塁走者の高橋が生還。2点目を返して、甲子園球場の大観衆からは大きな拍手が沸き起こった。そして、後続の打者以降はブラスバンドの応援曲に合わせて観客の手拍子が大きくなる異様な雰囲気が漂ったが、大阪桐蔭の柿木と野手陣がそのムードを打ち消すように安定した投球と守備を見せて失点を1点に留めた。

 7回に1死二、三塁から内野ゴロの間に1点を追加した大阪桐蔭は、投げてはエース柿木が終盤に入っても崩れず、金足農打線に流れを渡さない。8回を4度目の3者凡退に打ち取ると、9回も無失点に抑えて112球で2試合連続の完投。大阪桐蔭が13-2で勝利し、藤浪晋太郎投手(現・阪神)と森友哉(現・西武)のバッテリーを擁した2012年に続いて、史上初となる2度目の春夏連覇を達成した。

 一方の金足農は、7回に執念の得点を挙げたが、終始猛攻を止められず。1915年の第1回大会で秋田中(現・秋田高)が成し遂げた準優勝に並んだが、秋田県勢初、そして東北勢初となる優勝は惜しくも叶わなかった。