首都圏の地下鉄だけにあった幻の装置「トンネル冷房」とは

 バブル期までの地下鉄は夏場、とてつもなく暑くて不快な乗り物だった。本来、地下は「夏でも涼しい」はずが、さまざまな要因が重なって暑くなってしまったのだ。再び「涼しい地下鉄」を取り戻そうと、営団地下鉄が導入したのは「トンネル冷房」。ほんの27年間ほど稼働しただけで姿を消した、幻の装置だ。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
この記事はヤフで取りました:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180820-00177723-diamond-bus_all&p=1
● 開業当初は「涼しさ」がウリだった! 地下鉄構内はなぜ暑くなったのか

 地下鉄の駅構内には独特の空気が漂っている。特に銀座線や丸ノ内線といった古い路線のホームには、電車と共に湿気を帯びた生ぬるい風が流れ込んでくるばかり。ふつう地下トンネルといえばひんやりした場所というイメージなのに、なぜ地下鉄に限ってこんなに暑いのだろうか。

 実は地下鉄のトンネルも、開業当初は「地下鉄は夏でも涼しい」ことを売りにするほど涼しかったという。

 地下空間が夏は涼しくて冬は暖かいのは、地中の温度は一年中安定しているからである。太陽光で暖められた土は、1ヵ月に1メートルのゆっくりしたペースで地中に熱を伝えていく。夏の暑さが地下に伝わる頃には地上は冬となり、今度はゆっくりと冷やされていく。このサイクルを繰り返しているため、地下深くなればなるほど温度が安定し、地下10メートルを超えると、地上の平均気温とほぼ等しい温度で一年中安定している。

 こうした特性は、農作物を地下に貯蔵するムロなど、生活の中でも古くから活用されてきた。近年普及が進む地中熱ヒートポンプシステムも、地中と外気との温度差を利用したものだ。

 初期に建設された地下鉄は地下10メートルあたりを走っている。トンネルは土に冷やされて一年中安定した温度を保っていたのだ。ところが戦後になって高度経済成長期に入ると、地下鉄でも夏の蒸し暑さが問題になりはじめた。理由は2つある。ひとつは輸送量が急増し、車両や乗客から発生する熱量が増大したこと。もうひとつは、地下水のくみ上げにより地下水位が低下し、土のトンネル冷却効果が弱まったことによるものだ。

 さらに、当時の電車は、使わないエネルギーを熱に変えて捨てることで速度を調整しており、いわば常時「排熱」しながら走っていた。トンネル内で発生する熱量の7割は、車両から発せられるものだったという。

 銀座線の場合、戦前は2両編成の運行が基本だったが、経済成長とともに利用者が急増。車両は6両編成になり、運行本数も増えている。発生する熱が地中の冷却効果を上回れば、トンネル内がどんどん暑くなっていくのは当然の帰結だった。


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● 70年代~90年代まで使われていた 営団地下鉄の「トンネル冷房」とは

 涼しさが売りだったはずの地下鉄は、混雑と高温多湿により不快な空間へと変わっていった。では電車に冷房をつけて冷やせばいいかというと、そう簡単な問題ではない。冷房が冷やした空気から取り除かれた熱は、室外機から外に捨てられる。これでは、車内は涼しくなってもトンネル内の温度はさらに上昇してしまう。

 暑すぎる地下鉄を何とかすべく、営団地下鉄(現在の東京メトロ)は2つの対策を行うことにした。ひとつはできるだけ排熱の少ない電車を導入すること。そしてもうひとつは、駅を冷房化するのと合わせて、トンネル内を冷やす「トンネル冷房」を設置するという試みだ。

 トンネル冷房といっても、トンネル内に冷房の吹き出し口があるわけではない。トンネルの中に空気を冷却するための冷水コイルが設置されており、電車の走行などにより空気が押し出されて冷やされるという仕組みである。室外機に当たるクーリングタワーは当然、トンネルの外に設置されており、熱はトンネル内にこもらない。

 銀座線や丸ノ内線はトンネルが小さく、電車に冷房装置を搭載する余裕がなかったこともあり、トンネル内が昔のように冷えてくれば、トンネル内の冷気を取り込んだ車内も涼しくなるという目論見だった。

 トンネル冷房は1971年に設置が始まり、1980年までに銀座線、丸ノ内線の16ヵ所に、その後は営団地下鉄の他路線にも展開され、最盛期には全地下区間の半分近くに設置された。その結果、トンネル内の温度上昇を抑えることには成功したが、肝心の電車内はあまり涼しくはなかったようだ。

● 関西・中京圏は最初から冷房車両 首都圏のトンネル冷房も姿を消した

 1980年代に入ると首都圏の国鉄大手私鉄の車両冷房化率は50%を超えて上がっており、車内冷房は当たり前の旅客サービスになりつつあった。

 ところが営団地下鉄では、「トンネルを冷やしているから窓を開けろ」というばかりで一向に冷房の搭載が進まない。地下鉄に乗り入れている路線の場合、せっかく冷房が効いた電車に乗っていても地下鉄に入ると冷房がオフにされてしまうため、地下鉄はますます不快な空間として認知されるようになった。

 一方、トンネル冷房を採用せずに、1970年代から冷房車両化に着手していたのが、関西圏と中京圏の地下鉄だ。1976年には名古屋市営地下鉄神戸市営地下鉄に地下鉄初の冷房車が登場、1979年には大阪市営地下鉄(現在の大阪メトロ)にも冷房車が導入されている。放熱が少ない省エネタイプの車両を導入することで、トンネル内の温度上昇を抑えつつ車両の冷房化を進めたのだ。

 乗客の快適さは、冷房車両がトンネル冷房を上回るのは当然だ。営団地下鉄もようやく1987年に車両冷房化方針を決定。1988年から冷房車の導入を開始し、1996年までに全車両の冷房化を達成した。トンネル冷房は1998年から順次撤去が始まり、2006年を以て姿を消した。

 営団は車両冷房化に踏み切った理由として、省エネ車両への置き換えが進み熱源が減ったこと、トンネル冷房によってトンネルが冷却されたので環境が整ったことを挙げたが、同じく戦前からの歴史を持つ大阪市営地下鉄がトンネル冷房を経ずに車両冷房化したことを考えると、トンネル冷房に果してどれほどの効果があったのかはよく分からない。

 このように、営団地下鉄は冷房車両導入が大きく遅れたものの、その後の巻き返しスピードは速かった。冷房を搭載した新型車両を次々と投入し、都営地下鉄や大阪、名古屋と並んで1990年代半ばには車両冷房化100%を達成したのだ。地下鉄の車内で冷房が当たり前になったのは、たかだか2~30年前の出来事なのである。

 今度銀座線に乗る時は、駅のホームで90年分の熱の蓄積を感じたあとに、新型車両の涼しい冷房を満喫してみるのもいいかもしれない。